『肩書き』

みかん

 東大女子という肩書きは厭わしい。肩書きの求める姿が、不釣り合いなほど眩しいからだ。賢く美しく芯が強い、そんなイメージで売り出されても困るだけ。私は頭が悪いし、見た目は地味だし、すぐ他人に依存する。ただ運良く東大の入試に受かった、それだけだ。
 自室の扉を開けると見慣れた顔がいる。都内有数の女子高出身で容姿端麗、おまけに人望が厚いという、何もかも対照的な存在。これぞ理想の「東大女子」だろう。だが、玄関先まで駆け寄って私を抱きしめる彼女は、なんと家出娘である。
 何一つ欠けるところのない生活を営んでいるような彼女に、実際不足しているものはなかった。実家は豊かで、親戚もみな高学歴。微塵も疑いを抱かぬまま、彼女は成功の道を歩んできた。ところが大学に入ると急激に疲れてしまい、無意識に溜め込んだ情動が爆発して衝動的に家出したという。行く当てもなく図書館の地下で座り込んでいた彼女は、薄暗い照明を浴びて柔らかそうな二の腕を白々と光らせていた。髪に隠れて顔は見えず、その危うい輝きが誰なのか全く見当もつかなかったが、この白さは放っておけば遠からず傷ついて汚されるのだろう、と本能的に察していた。上手い言葉も思い浮かばず「うちで温かいものでも飲みませんか」と気を引くことしかできなかった。こわごわと上げられた顔は壊れ物のように綺麗で、冬空のように痛いほど澄んだ目をしていた。その夜は名前も知らぬまま、温めあいながら眠りについた。次第に互いを知るようになると、引き出した相手の情報はひとつひとつが二人を絡める糸となり、気付けば身動きできないほど離れられなくなるのに時間はさほどかからなかった。細く絢爛な絹糸が、もう無数に巻き付いている。
彼女に夕飯を作るため、しなやかな身体を引き剥がそうとすると「東大女子がテーマの小説企画があるらしいの」と唐突に私を見上げてきた。意図がさっぱり読めないので、後ろ頭を撫でてあげながら続きを促す。彼女は今、授業には出ず延々と本を読み漁っている。小説家になりたい、という幼時から抑圧してきた夢がようやく酸素を浴びられたらしい。だから彼女が筆を執ろうとすること自体は違和感がないのだけれども。

「そりゃまた変わったお題だね」
「ね。でもあたしにはすぐ書きたいことが見つかったから、それで出してみようと思うの」
 へえ、と傾げようとした首をそっと両手で固定され、恐ろしいほど真っすぐに見据えられる。私が目を逸らさないことを確認すると彼女は誇らしげにこう言ったのだ。
「あなたのことよ。大好きな、私にとって最高の東大女子」
 私ほど東大女子に不適な女子はいない。だからこそ捨てたい肩書きであった。それでも、彼女の言葉で私を綴ってくれる理由になるなら、東大女子であるのも悪くないかもしれない。私が、彼女の文章に、彼女の夢の養分になれるのだから。人生で初めてその肩書きに感謝すると、私は彼女を優しく抱きしめた。